profile

自分の写真

てらたにこういち
Kouichi Teratani
Thinker,Journalist,Creator

東京都新宿区生まれ
誕生日:8月8日
趣味はスキーにバイク、ウェイクボード
60年代生まれの独身×あり

[未完成]思想家、ジャーナリスト。
映像クリエイター、執筆、PR制作/HERMES inc.代表取締役。
フリージャーナリストとして歌舞伎町のまちづくりをウォッチするほか、ブログ、執筆、インタビュー、WEB戦略などを通じ、歌舞伎町の光の側の発信源の「核」。自身の活動として地下鉄や山手線など公共交通機関の24時間運行、夜間電力の有効活用・蓄電によるバスのオール電化推進、風適法の実態にあった改正と営業時間規制撤廃などを求めた活動。
また、現代をヒトの大進化過程、進化パンデミック前夜であるとし、X・Yに変わる新たな性染色体"Z"の出現を予言。
 
"Anyone who trades liberty for security deserves neither liberty nor security. "
by Benjamin Franklin

"You would rather than escape to a goodness,put you at precarious life."
― 『善良』に逃げ込むぐらいなら、人生を危険にさらせ。
by Kouichi Teratani
 
中心(0)思想、Neo Anarchist。

2012年10月10日水曜日

GIDは、ヒトの進化“兆候”の可能性――ヒトの“進化”「Z染色体の出現」を予言する

ヒトの性染色体には、一般的にXとY、♀がX染色体を2本持つ雌雄決定方式に対する名称であり、この場合、♂はXY型となる。以前、こんなことを書くようになったのは3年ほど前からだが、改めて、今、"XY型の♂"、つまり現在の一般的に言われるヒトの♂、「男」が滅びつつある。

性染色体は、所謂生物の遺伝情報を担うDNAとヒストンと呼ばれるタンパク質の一群によってなっている染色体の中で雌雄の性決定に関与する。ヒトに関しては、生命進化の過程で、約3億年に有羊膜類から哺乳類・単孔類(XとY、XXが♀)と鳥類・ヘビ類(ZとW、ZWが♀)、つまり、このときが、後に現れる"ヒト"のXとYによる雌雄決定プロセスの起源となる。それから約3億年、XXとXYによって、2つのXによって相補的に維持されてきたX染色体に対し、Yは親の1本のYをコピーする故の劣化や変異により、所謂遺伝子情報の欠落が起き、ヒトにおけるX染色体の遺伝子情報(約1,000個)に対し、Y染色体は78個まで極端に遺伝子密度が低下している。
哺乳類であるヒトの由来は、胎生、卵の形で個体を産むのではなく、♀の体内で受精卵を孵化させ、胎盤の中で育て、子供の形で生むことにある。よって、哺乳類の♀には“身重”な妊娠期間というのがあり、また卵で生む生物よりも子に対する親の保護が手厚くなる胎生にある傾向とともに、ヒトの社会生物としての進化の要因のひとつとなったわけだ。そして、この“胎盤”形成に父親由来のY染色体が機能する。
例えば、♀の卵子に他の♀の卵子から遺伝情報を持っていっても受精自体は可能かもしれない。しかし、この場合、胎盤が形成されないことで、個体は胎児として成長することはない。
正確に言うと、胎盤形成に必要な遺伝子情報は、♂♀両方にも存在する7番染色体にあるPEG10という遺伝子で、“今のところ”胎盤形成は父親側のPEG10によって引き起こされているようだ。無論、胎盤形成やホルモンの内分泌においてY染色体だけが機能しているわけではないが、不妊や流産は、当然ながらなんらかの原因による胎盤の機能低下と、ヒトの♂の精子の減少は大きな要因だろう。

ヒトの精子数は、WHOの基準では、1回の射精量が2ml以上、精液1mlあたりの精子の数が2000万以上、運動率50%以上、奇形率15%以下を正常としている。実はこの1mlあたりの精子の数、数千~1億といわれていたのは昔の話で、今は2,000万以上あれば正常と言われ、1000万を切れば“不妊”となる。あるデータによると、1940年代では1mlあたり1億個だった精子細胞が、現在、1mlあたり2000万個に満たない若者が15%~20%もいることが判明している。さらに言うまでもなく、オタマジャクシの形の精子の“アタマ”部分は父親の♂のDNAそのものである。父親の持つ性染色体XY、つまり極端に遺伝子密度が低下したヒトのY染色体も運ばれる。不妊や流産の原因の多くが、父親由来の染色体にあることは想像に難くない。

例えば、Y染色体の遺伝情報が、今の78個から77個になったらなにが起きるのか?XY型の♂は今の「男」であり続けることができるのだろうか?Y染色体の無機能化はいくつから?

そもそもヒトの♂の精液1mlあたりの精子の数が1,000万を切ることになったら?その時点で、「不妊」。現在種としての「ヒト」の種は途絶える。
人類の滅亡シナリオは、破局噴火?隕石衝突?ガンマ線バースト?・・・これらは人類滅亡ではなく、地球の生命滅亡の話。地球が滅びるよりも、よっぽどヒトにとって“そこにある危機”――Y染色体劣化。

さて、ヒトは滅びるのだろうか?

私は、実はそう単純には考えていない。“命”というものは、我々が知る以上にもっと、“本能的”に可能性と挑戦を続けるはず、でなければ、この“過酷”な自然環境を生き延びてこれなかったはずだ。上記の“仮説”にはいくつかの欠陥が存在する。自分で書いてて言うのもなんだが、一つは、胎盤形成に必要なPEG10は、性染色体上にではないところに存在している。今のところ、XY型である父親由来の染色体上にあるものが機能しているようだが、もしXX型の変異♂(例えばXX+peg10みたいなXXn、XXYによる変異など、仮にXZ型とする)が出現した場合、XX(♀)とXZ型ヒトとの間で胎盤形成は不可能ではないかもしれない。ヒトは、今のXX型♀とXY型♂、に限られる、とは限らない可能性。最初にヒトの性染色体には、"一般的"にXとY―と書いたのには理由がある。実は、すでにヒトはXX(♀)XY(♂)、だけではない。

以下、XX・XY以外の性染色体の例を挙げる。

  • クラインフェルター症候群(Klinefelter) XY♂のX染色体が過剰、XXY、XXXYなど。発生率は500~1000人に1人、一生気づかれない場合も多い。外性器・内性器は通常の男性形である。主な症状は、女性化乳房(現れない事が多い)又は二次性徴の欠如(成人しても少年や児童的、華奢な体格、声変わりが起きないなど)、長い手足、体毛の発生が少ない又は無い、骨の発育不全や骨粗鬆症、心臓の疾患、運動能力の低下などが現れる場合もある。ほとんどの症例で精子の数が少ない為、自然的生殖では不妊であり、不妊治療に訪れた時点で発見される場合も多い。
  • スーパー女性 XX♀(女)のX染色体過剰、XXX、XXXX、XXXXXなど。
  • スーパー男性 XY♂(男)のY染色体過剰、XYY、XYYYなど。
  • XXYY症候群 ・モザイク染色体 男女ともに発生する、さまざまな形状。発生率は、10~100億人に一人と言われる。XX,XYにXO,XXy,Yなどが混在するケース。
  • 性染色体モノソミー(ターナー症候群)Y染色体モノソミーは存在しない。X染色体モノソミーにも。X染色体にはヒトの生命に欠かせない遺伝子ということでもある。Xモノソミーのため女性型。XXである通常の女性のX染色体の1本が完全または部分的に欠失、X、XO。 新生児期の足の浮腫、著しい低身長、首周りの襞(翼状頸)、先天性心疾患、不妊、第二次性徴の欠如などがある。知的障害はない。10%に大動脈縮窄症を合併する事が知られている。

概ね、発見が何かしらの障害、病気等によるものだからそれらと関連付けられ、“性染色体異常”として扱われるケースが多いが、XやYの性染色体は不活性化するため、トリソミー(3本化)やモノソミー(1本化)したりしても、実際のところ、上記の多くが著しく症状に出ることは少なく、一生発見されない場合のほうが多い。遺伝子情報の解明半ばの現在、したがって、上記の“全て”が“異常”である、という学論は多少無理があると、私は考えている。そもそも、体に何らかの異常や障害が無い場合、通常、染色体の検査をするということは、おそらく一生無いだろう。したがって、例えば斯く言う自分も自身がXY型である、という確証はどこにもない。症状の有無に関わらず、ヒトの性染色体に起きていることは、科学的に、あまりにもサンプルが少ない。これはDNAが、所謂個人情報であることも関係していると思われる。あるいは、「肉体的精神的社会的」に通常と何かが違うとしても、それを“異常”と言えるかどうか。


【「Z染色体の出現」―― ヒトの“進化”を予言する】

生物の進化は、とても不思議だ。適応、と一言ではとてもかたずけられない。サルは7歳で大人になる。だが、成長の遅い「裸のサル」、というその時点での異常がサルを「ヒト」に進化させた。成長が遅い=脳の学習期間が長くなる、が脳の発達に。成長しない=弱い、が社会生物として進化し、文明を作った。その「ヒト」が、今や、Y染色体の著しい遺伝子密度の低下によって、滅びつつある――は、正確な言い方ではない。
正確に言えば、Y染色体を持つXY型の♂のYの無機能化、無効化によって、現代の「男」が役割を終えつつある、というべきだろう。その時間軸は、Y染色体の遺伝子密度が1000から78になるのに3億年かかったことを考えれば、単純に300万年に1コ減少として、遥か先かもしれないし、いや、既にその始まりが起きている可能性もある。いずれにせよ、その後の“ヒト”が、如何なる雌雄の決定プロセスを見つけるのか、見つければ“進化”となり、見つけられなければ、ヒトは滅びる、ということである。

では、それはいつ起きるのか?

その“兆候”は、実はすでにあるのではないか。

私の友人に“杉山文野”という人物がいる。戸籍上は女性、高校まで女子高に通ってきた、が、“彼”は、心は「男」に近い。今でこそ、乳房を取り、男性ホルモンを打っている関係で、見た目もだいぶ男性化してきた、だが、れっきとした「女性」である。その“彼”が、自分が「オナベ」であることをカミングアウトして7年、彼のところに多くのGID(性同一性障害)のコたちが集まってくる。文野君とは公私にわたって付き合いがある関係で、彼らの周りに集まるGIDのコたちとも自然に関わるようになった。
GIDのコたちが、社会の中で如何なる気苦労をしているかはさほどわかっていない自分ではあるが、「男」と「女」に二分化された社会において、GIDのコらのジェンダーフリーへの活動、そしてその中心にいる杉山文野君や彼らへの敬意と理解はしているつもりだ。だが、“彼ら”にもよく話すのだが、「キミたちとボクのアプローチは違うよ、」と。例えばFTMのコが、乳房を取る、子宮を取りたい、という話になれば、私は「反対だよ。」と話す。先に書いたように、ジェンダーフリーは社会進化ではあるが、現代社会に於いてGIDに対する許容はまだまだ浅い。従って、現社会の基準にあわせ、「男」か「女」になろうとする彼らの心はわからなくも無い。しかし、それは、むしろ今の時代の「男」とは?「女」とは?という固定観念への迎合なのではないか?
ジェンダーフリーの思想とは、本来社会的性別(ジェンダー)に対する一般通念にとらわれず、人それぞれの個性に基づいて、自分の生き方を自己決定出来るようにしようという、固定的な性役割の通念からの自由を目指すもの、のはず。「多様性の許容」は社会進化である一方で、同時に、乳房を取り、子宮を切るのは「種」の根絶を意味し、いわば生物的進化への拒絶である。これを、現代の「男」でも「女」でもない「何か」である自分たちのアイデンティティの自殺、と、私は見えて仕方が無い。


GIDは、ヒトの進化の“兆候”の可能性――

先に書いたようにY染色体の劣化、遺伝子密度の低下は何も不妊流産にとどまらず、「男」そのものにも影響を与えている気がする。それが、言ってみれば男性の女性化であり、華奢な体つきへの変化、あるいはMTF化。一方で、Y染色体が滅びる前に、ヒトの染色体が何かを探している、例えばXXとXXによる雌雄の決定、或いは、Xの変異によって、例えばXnの様な“Z染色体”が生まれようとしている過程において起こりうること、XZ型♂の前段階として、それが、女性の男性化、いわば外見としてはFTMやMTFに“見える”可能性がある。杉山文野君やその周りにいる「オナベ」くんたちを見ていて、日常的に接し、なぜか、少なくとも自分には彼らが“異常”には見えなかった。ホルモン注射をする以前の彼らは、所謂「女性」より強く、「男性」よりも美しい。
 
もう一つ、それは、ドーピング前の彼らが「オトナにならない子供」であるという印象。このことに対する反論はありうるとは思うが、GIDの、おそらく過半にありうる、性成長が緩やか、いわば一般的に見て成長速度が遅いことと、一方で未熟な性の状態に対して与える社会からの外的影響との融合によって、性志向が見た目“同性愛”的に現れた結果のGIDである可能性がある。先天的に性成長が緩いことに起因して、後天的要因(脳への影響)が加えられてGIDになる、というもの。いわば、性同一性障害、ではなく、あくまで性成長が遅い、或いは未熟であるという状態であるのではないか。
一見この性成長が遅い、は生物学的に劣勢なイメージを与えそうではあるが、成長の遅い裸のサルがヒトに進化したことと同じく、性成長の遅さが引き起こす、或いは必要な状況、とは何か?例えば、XXとXXによる雌雄決定が可能になる未来への前段階として、ヒトの性決定そのものが遅れるということが起こっている可能性はないか、と。

これらの“印象”から得た「直感」が、この答えだった。ヒトは、今、ミトコンドリアイブの時代以来の大進化過程、進化パンデミック直前にいるのではないか。そして、すでにXXとXYによる雌雄決定のプロセスを超えていたり、超えつつある・・・少なくとも彼らはその兆候、GID(性同一性障害)として“見えている”のではないか。

生命は間違いなく、女(♀)が産み出すものである。男(♂)も女(♀)が、生命の維持と存続のために創り出した「マテリアル」に過ぎない。言い換えれば、「ヒト」とは女(♀)のことのみを指し、男(♂)は役割を担う道具であって「ヒト」ではない。

その、これまで使ってきた「マテリアル」が、さすがに3億年たって消耗が激しく、このままではまずい・・・ということで、XXはYを諦め、新たなる可能性"Z"を模索している。これまで“異常”と片付けられてきた様々な性染色体のトリソミーも含め、X染色体は“何か”を創り出そうとしてやしないか?ましてや、昨今発見されたPEG10遺伝子は、Xの中で眠っている。胎盤を形成するためにYが必須、ということではどうもないらしいことまでわかって来た。或いは、書いたように、身体に何らかの異常や障害が無い場合、通常、染色体の検査をするということは無い。自分がXY型である、とも言い切れないし、DNAのサンプルはまだまだ少ない。発見されていないだけで、すでに“Z染色体”が現れている可能性もある。


京都大学の山中伸弥教授がノーベル医学・生理学賞の受賞が決まり、にわかにiPS細胞への関心が高まっている。iPS(人工多能性幹)細胞は、理論上、体を構成するすべての組織や臓器に分化誘導可能であるばかりか、卵子や精子も創り出し、それを受精させ、「ヒト」として誕生させることも可能になる。いみじくも、iPS細胞は、女性の染色体に、精子や胎盤を自ら作りうる設計図が書き込まれていることを明らかにもした。そしてその先は・・・このことに対する倫理的な問題を問うのは別の人たちの仕事だと思うのでここには書かないが、iPS細胞に関わる研究の進歩によって、今後さらに、様々な、遺伝子情報や個別の役割、そして“異常”とは何か、を見つけていくに違いない。
改めて、“Z染色体の出現”の予言をここに書いたのは、そこに理由がある。iPS細胞の研究もいってみれば社会進化。だが、社会進化は、時に生物的進化と相反することもある。

生物の「進化」の過程に現れる様々な染色体の変異は、それが何かしらの“障害”として現れることもあるだろうが、その“異常”は現社会における価値基準上のものであって、ヒトの一生を遥かに超えた時間軸の中では、場合によっては「進化への兆候」であるかもしれない。我々程度の知能と「目」では、“異常”と“進化への兆し”の区別はつかない可能性がある。そう、「兆し」を「病気」「障害」と捉えてしまう致命的な間違いを犯すかもしれない。遺伝子研究が、一つには、そういう致命的な間違いを犯さないように、という意味と、もう一つは、もし"Z"を見つけてしまったら、それこそ、ヒトの社会及び種としての在り方を含め、コペルニクス的な大変革となるのではないか?ということだ。
 
宇宙が無から”揺らぎ”によって生まれたように、この世界の摂理として、片側に大きな揺らぎがあれば、例え見えていなくても、必ず相反する反対側の揺らぎが存在する。そうやって世界は拮抗し、均衡が保たれている。今言う「片側の揺らぎ」が、いわばiPS細胞という社会進化の大きな揺らぎであるとするなら、もう片側にあるのが、自然の生物的進化の揺らぎ、"Z"の出現。悠久の時間軸における、限りなき先の未来には起こりうると思いがちかもしれないが、約70年で1/5まで減少したヒトの精子密度低下速度と、或いは同じ程度の急加速で見える世界、見えない世界で同時に“何か”が起きている予感。
 
 
"Z"を発見しよう。

"Z"の発見によって、GIDはGIDでなくなる。彼らは「障害者」ではない。進化への先駆け、言ってみれば「ニュータイプ」。そして、マイノリティは我々(たぶん)XY型の♂、否が応でも、それこそ"Z"の出現有無に関わらず、XY型の♂の未来は、そう永くはない。


記:2012.10.10 Kouichi Teratani

2012年5月21日月曜日

2012/5/21 金環日食




薄雲にさえぎられる金環日食を眺めながらふと。
日食には関係ないが、、、
memoとして...Φ

Stuxnet-イラン核施設へのサイバー攻撃は米とイスラエル共同開発ウィルス

 “スタックスネット(W32/Stuxnet)はMicrosoft Windowsで感染するコンピュータウイルス。インターネットから隔離されたスタンドアローンの産業用制御システムにおいても感染し、かつ実害を生じるという特徴がある。2010年6月ごろに出現し、イランの核施設を標的とした攻撃で有名となった。また、2011年秋に出現したトロイの木馬型マルウェアであるドゥークーは、スタックスネットから派生したものと考えられている。”-wikipedia

冷戦下、反共の名のもと、ヘリ撃墜や対戦車兵器を大量に供給した結果が高度なテロリスト集団の礎となった。
アメリカやサウジが資金を提供、各国製兵器が集まるイスラエルが必要な兵器を調達し、例えば中東ならば、イスラエルと対抗“しているはず”のエジプトなどが中継役となって各紛争地に供給、訓練されていない民兵でもソ連の正規軍と互角に戦える状況を創り出した。
なぜイスラエルが武器を調達したかといえば、それは、対ソ連戦において、地域紛争の背後にアメリカがいる確証を与えないためだった。イスラエルはわざわざソ連製の武器を調達するなどして、あたかも地元民兵が紛争地でソ連側から“盗んだ”武器でソ連のヘリを撃墜したかのように見せかけた。反共とは言え、米ソの直接対峙は避けたかったわけだ。

ソ連が崩壊し、冷戦が終わると、各紛争地はどこも人口の大半が20台以下という非常に若い、しかし彼らは、それまで戦争に明け暮れ、なんの教育も受けてなかった。アメリカは、当時“秘密予算”(議会承認のいらない、しかし予算の上限は無い)を持つ軍事委員会があり、アフガンなどではここから10億ドルの兵器調達資金がイスラエルに流入している。だが、冷戦が終わり、教育が必要なそれまでの紛争地域に、学校をつくるための100万ドルでさえ、アメリカは拠出しなかった。
紛争地域には、教育が無い若者たちと、“誰が提供したのか解らない”強力な武器が大量に残った。これが、やがてテロの根源になった、と思ってる。

Stuxnetは、特定できない言語(おそらくサイバー攻撃に最も有効な言語を開発)によって書かれたウィルスであり、そもそも防御は不可能で、そのコストや技術力の高さから、かねてより国家によるプロジェクトでは?という噂はあった。
今回それがアメリカとイスラエルの共同開発だったことが明らかになり、ふと、冷戦下の事とそれ以降の9.11への変遷が、ふと過った。

“2010年9月には、イランのエスファハーン州ナタンズに所在する核燃料施設のウラン濃縮用遠心分離機を標的として、スタックスネットを使ったサイバー攻撃が実施された。この際には、遠心分離機を制御するPLCがスタックスネットによって乗っ取られ、周波数変換装置が攻撃されたことにより、約8400台の遠心分離機の全てが稼働不能に陥った。”

Stuxnetの特徴は、原子力システムを制御する装置が配備してある制御システムへの侵入と、制御システム上にある装置に対する攻撃の実行に特化している。日本国内でも何か所かで感染があったようだが、今のところ、このウィルスは対象とした『制御システム』以外では動かないよう設計されている。しかし、すでにこのStuxnetの亜種とみられるトロイの木馬型マルウェアDuqu(ドゥークー)というウィルスが2011年9月に出現、2012年5月にはflame(フレーム)という標的型攻撃を行うウィルスが確認されている。これらは、
Stuxnetの制御システム攻撃とは異なり、主に情報を盗み出すことに特化しているという。Stuxnetは、最初に攻撃されたイランの核施設から不用意に持ち出されたコンピューターから世界に拡がり、発見された。そして、同時に、制御システム、つまり水道や電気、ガスや航空管制、交通網も一瞬のうちに麻痺させることが出来る技術が潜む“今のところ、まだ誰も読めない”コードが拡散されたことも事実だ。

またアメリカとイスラエルか、、、。この両国は懲りず、民主主義が危機に瀕しているこの時代に、再び敵国の施策に多大な被害を与えると同時に、またもや9.11の如く、自らにさらに深刻な被害が跳ね返ってくる可能性のある“モノ”や“技術”を拡散させたんだな~と。

2012年2月13日月曜日

2月7日8日“帰村宣言”をした福島第一原発20kmの村、福島県双葉郡川内村紀行、地元の方々との交流会など

送信者 2012/2/7-8 福島県双葉郡川内村にて
人であれ、場所であれ、どうしてそこに惹きつけられるのか、そんな理由はどうでもいい。「テラさん、やめなよ。国にまかせておけばいいじゃん。」と、とくに“偉い”人に、何度言われたか。
福島県双葉郡川内村、福島第一原発から20kmのこの村の商工会長、井出茂氏と初めてお会いしたのは、昨年の11月のことだった。新宿区議の根本二郎氏が中心に進めてきた農山村との交流事業『歌舞伎町農山村ふれあい市場』、3.11の震災以降は、復興支援という意味合いも重なった中で、井出氏が新宿に訪れた時のこと。「川内村は原発から30キロ圏内に位置するところで、国​はこの地域に一律、水稲の作付を禁止しました。ところが​、村内の一部を除き、土壌汚染は国の定める基準値をはる​かに下回っている。しかしながら、3/​11以降全村避難を余儀なくされ、農家を辞める、意欲をな​くす方々もあり、深刻な事態になっている。」そんな話を井出氏から伺った。
3.11震災以降、何度か東北に足を運び、また、さまざまな歪や矛盾を抱えながらも、一歩一歩復興に向かう姿も目にしてきた。だが、その中で、“福島”だけは、どう考えればいいのか、正直答えを持てない自分がいた。風評被害、そんな単純な問題ではない。過疎化した集落の一つ一つに生活があり、人生があり、絆がある。だが、そこには、程度の差こそあれ、少なくとも、通常よりもいくらかは高い数値の放射線量があるという事実、時折流れるニュースでは、“冷温停止”的状態にあるという福島第一原発の不安定な挙動が伝えられることもある。我々は、例えばボランティア支援や活動をしようにも、若者をそこに連れていくことに、幾ばくかのためらいを余儀なくされる。実は、そこにこそ、今回の震災復興・再生における“福島”の核心がある、と思った。井出さんから『鍋でもつつきながら、やろうや。話をしましょう。』そんな風に言われた昨年の11月の出会いだった。
川内村は、阿武隈高地の中央部に位置し、阿武隈高地の最高峰「大滝根山」東斜面に立地し、標高500~600メートル。阿武隈高地の最高峰、大滝根山をはじめ700~900メートルの起伏の多い山岳に囲まれた高原性の盆地。耕地は、村の中央を貫流する木戸川とその支流に沿って開け、その中に大小24の集落が散在。村の大きさは、東西およそ15km、南北およそ13km、総面積197.38km2の約90パーセントが山林、原野。
村の基幹産業は農林業。農業については、原子力発電所関連企業などに多くの労働力が流出し、専業農家が激減、農業の労働力は婦女子、老齢者が主体になっている。“経営形態も、米・葉タバコ・畜産・養蚕・高冷地野菜を種々に組み合わせた複合経営がほとんどであるため、生産組織の育成、経営の規模拡大、流通の合理化など総合的な改善をはかることによって、若者が農業に魅力を感じる、自然と文化が調和した新しい村づくりをめざしている。一方、林業も、外材の輸入などによる木材価格の低迷が起因し、生産量及び就労人口が減少の傾向にあるので、立地や気象条件に適した特用林産物(シイタケなど)の生産の拡大と適木の計画的造林を進めている。”とwikiより。
なお、文化面で見ると、「山深い山村である川内が、全国にも多少なりとも名を知られるようになったのは“カエルの詩人”草野心平との出会いが影響している。長福寺の住職矢内俊晃師は、度々に天然記念物平伏沼のモリアオガエルを紹介、そんな中、ぶらりと長福寺を訪れたのが昭和28年(1953年) の夏であった。心平は七日間も矢内和尚と酒を飲み続けた。」ということで、“カエルの詩人”草野心平は名誉村民になっている。
“東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故によって、全域が警戒区域と緊急時避難準備区域に指定された福島県川内村が、1月31日に帰村宣言”
3月16日全村避難、昨年9月には緊急時避難準備区域の指定も解除された川内村。福島第一原発から30km範囲内に全村が入っているものの、“村中心部(福島第一原発から約20km)の空間放射線量は毎時0.1マイクロシーベルト、福島市や郡山市の数分の1程度と低く、他市町村より帰還への環境は整っている”と言う。川内村が含まれる福島県双葉郡は広く、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町、川内村、葛尾村の8町村、それぞれに自治体がある。福島第一原発は、双葉町・大熊町。 “帰村宣言”がされる一方で、双葉郡には、放射性物質に汚染された土壌・焼却灰を保管する中間貯蔵施設を建設する方針が示されていたりもする。
3.11から11カ月が経とうとする、2月7日朝、雨の東京を出発、一路、福島県川内村へ向かった。常磐道で、おそらく通常は常磐富岡あたりで降りて内陸の川内村へ向かうのだろうが、このルートだと福島原発至近をかすめてしまうため、いわきから磐越自動車道を経由、船引三船インターを下り、288号、399号を経て川内村に入った。なお、東北の復興支援で水戸より先は無料(2012年3月31日までの予定)になっているため、首都高700円と水戸までの高速代2,000円あわせ、2,700円(普通車)で行けるのには助かった。メンバーは、自分と、映像クリエイターの弓田一徳、NPO法人グリーンバード副代表大澤真輝、そして、音楽家の古川琴子、この4人で行った。弓田は、自分と映像関係では同業、日常的に仕事を支え合っている関係だし、昨年5月の東北キャラバンには自分のサブとして一緒に活動をした。大澤は、グリーンバードで昨年は仙台荒浜地区の農業支援のプロジェクトを企画・運営してきた。歌舞伎町にもチームがあるので、それらを通じて関わり深い。音楽家の古川琴子は、多少疎遠になった時期もあったが、知り合ってかれこれ5年、彼女の音楽と、音楽に対する姿勢を自分が愛しているということからなんだろうけど、公私にわたって、いろいろ支え合えたらいいな、という感じの人です。自分は、それなりに“年”とはいえ、弓田も大澤も三十代前半、琴子はまだ20代、そんな若者を連れていくこと、そこに巻き込むことに、当然ながら、批判もあるかもしれないが、だからこそ、一番信頼できる、責任を負い合えるパートナーとして、彼らを連れて行ったわけです。

川内村商工会長の井出茂氏、彼が経営する蕎麦酒房「天山」にて、井出さんの手打ち十割そばがボクらを迎え入れてくれた。元々井出さんの息子さんがここをやっていたそうだが、震災後に息子さんたちは埼玉へ避難、井出さんがここを守るようになった。それから蕎麦を打つようになったそうで、だから蕎麦打ちキャリアは7カ月くらいとのこと。毎日2kgの蕎麦を、客が来ようと来まいと打ち続けるそうです。食後は、天山の囲炉裏を囲んで雑談など。
交流会を前に、地元の名物のいわなを、この村の観光名所である“いわなの郷”の渡辺さんが、獲りたてのいわなを囲炉裏で焼いてくれました。琴子がお手伝い、になったかどうか・・(笑)



▲2月7日夜、川内村商工会長の井出茂氏主催の、ボクらと地元の方々との交流会の模様。井出さんは商工会長であるほか、村議会議員でもあります。村役場からは農村振興課の松本課長・小松係長・藤宮主任、川内村の地元の主婦方で運営されてる『川内へ迎える会』の秋元洋子会長、同会の新妻さん、渡辺さん、西山さん、伊藤さん、元々バイク雑誌のライターさんで今は川内村在住の唯一のジャーナリストだという西巻さん、が参加しています。ダイジェスト59分。



▲2月8日朝、前日の交流会のアルコールも抜けやらぬ間にですが、井出会長のインタビューを行いました。インタビュアーは自分、パーソナリティ風に、音楽家の古川琴子、画面には写ってませんがグリーンバード副代表の大澤真輝が同席しています。ノーカット74分11秒、ちょっと長いですが、いろいろ“核心部”が見えてきます。良かったら、ご覧ください。


2月7日、8日と二日間の川内村取材でいろいろ感じたことの中で、明確な目標は、なんとなく見えてきた。無論、全てを自分が出来る訳でなし、いずれにせよ、多くの理解者を求め、或いは、今後、資金面での支援も必要とする場合もあるかと思いますが、以下、具体的目標をまとめておきます。

[農業支援]
・米作~作付・作業ボランティア、川内村サポーター集め、直販ルート開拓
・オーガニックコットンの生産、Tシャツなどのデザイン、製品化~販売
[教育支援]
・情操教育(例:帰村した子供たちと、村民による吹奏楽団創設~指導、演奏会)
[文化事業]
・音楽(例:収穫祭コンサート、クリスマスコンサートなど)
[発信]
・放送局、Ustream、あるいはIT、映像技術の指導。


川内村の放射線量は0.1-0.2マイクロシーベルト/毎時。東京の、約2倍ぐらいでしょうか。周辺には、それよりも高い線量の地域が点在し、地元の方が言うには、「川内村は山に囲まれた盆地だから助かったのかもしれない。神風が吹いた。」と。だが、ここに住む人たちの生活圏は、今は線量が高くは入れない海側の双葉町側にあるということで、つまり、地勢的には村は助かったのかもしれないが、生活圏は破壊されている。農作物の作付禁止に加え、この事が、雇用を破壊し、故郷に帰りたくても帰れず、郡山(仮設住宅)に避難したままの人たちが、現実に郡山に留まる理由の一つだと思われる。また、風雨や雪に晒され、アスファルト上の放射性物質は洗われているが、土にはまだ多くの放射性物質が残っているはずで、この冬の時期は、雪に閉ざされているから線量が出ない、という可能性もある。春、雪が解け、夏になれば、その土が舞う季節がやってくる。その時、線量はどうなるのだろうか、という危惧もあるかもしれない。
だが、それでもなお、かつて2,700人の人口があったこの村に、少なくとも今現在200人の人たちが留まり、村に帰りたいと思う人たちを迎え入れられるようにと、“ふるさと”を守ろうとしているという現実がある。あたかも、それは、報われるかどうかわからない片思いのようなものにも感じ、故にその、“無償”となるかもしれぬ“愛”を誰かが支えられたらいいなと、その役割がボクらにはあるのかもしれない、と思った。

自分の、あるいは、ボクの仲間たちの、まだ一歩目のこのアクション、いろいろ賛否はあるでしょう。返って、物事を複雑にしかねない可能性もある。

だけど、自分は、さらっと、こういう事を簡単には、通り過ぎれないのです。せっかく知り合った人が目の前にいて、関わり合いの中で、出ない答えを一緒に探したいと思ってた。東京から約200kmそこらの場所に、福島第一原発がある。川内村がある。そういうリアリティを、東京にいると忘れてしまう。だが、そこにいけば、人がいて、生活があって、笑いも涙も、希望も絶望もある。面倒くさいかもしれない、でも、少し“くどい”くらい位の人間関係が当たり前だったらきっと世界はもう少しマシになる、とずっと思ってきた。ここは自分の信念。それに、どれほど完璧でも、一人で何彼やったところで、そこには冷たい空間しかない。一人より二人、二人より皆でやることは、とても楽しいはず。東京から離れて、だが、そこには、支え合いという、我々のDNAの、どこか源流のようなものがあった。感じた。触発を受けないわけはない。

送信者 2012/2/7-8 福島県双葉郡川内村にて
冬は-10℃以下に下がる日も少なくないそう。どうせ行くなら、まずは一番寒い時季に行ってみよう、と思ったのですが・・なぜか、ボクらがいた二日間は暖かくて・・それでも、朝は-5℃くらいだったかな。

ボクはボクの文章や発信で、琴子は琴子の音楽で、また、これからも賛否を受けながらもデキルかぎりの何かをやりながら、それが誰かに響いたらいいな、その誰かが“勝手に”川内村に行って、ボクらのデキルかぎりを越えて、さらなる何かを生み出すことを願っています。

送信者 2012/2/7-8 福島県双葉郡川内村にて
井出会長(川内村商工会長)、川内へ迎える会のおネエさま方と一緒に。大澤の寝起き顔のわけは、実はおネエさまにどぶろくでつぶされた後なもので。2時間ほど、倒れてました。ちなみに、Ustreamを担当した弓田は、この後つぶれました。次の日の昼まで二日酔いで起きれず・・・手前みそですが、ホントに、体を張った、愛すべきスタッフでした。

2012年1月20日金曜日

Kotoko Now that you've come back.



古川琴子 2012/1/15 New Year Live in Club Edge

[set list]
 1. Tears                                     作詞・作編曲 古川琴子
 2. 生きてゆくのだから              作詞・作編曲 古川琴子
 3. Birthday                                作詞 古川厚子 作編曲 古川琴子
 4. 君のために                           作詞・作編曲 古川琴子
 5. どんな未来も                        作詞 古川厚子 作編曲 古川琴子
 6. 君がいる、それだけで・・・     作詞 古川厚子 作編曲 古川琴子
 7. Once more                            作詞 古川厚子 作編曲 古川琴子
 8. 優しい雨                               作詞 古川厚子 作編曲 古川琴子
 9. 灯火                                      作詞・作編曲 古川琴子
10. 舞い降りた風                       作詞 古川厚子 作編曲 古川琴子

より、2,4,5,7,8,9動画 ※31'33"

古川琴子 オフィシャルサイト
http://www.furukawakotoko.com/

琴子ちゃんの“チャンスはいつも”のCD、サインの日付を見たら2007.5.22ってなってた。もう5年近く前のことなのか。それが知り合った最初の日、岡田ユキさんの「いじめ・虐待ストップ!」(http://kabuki-cho.blog.so-net.ne.jp/2007-05-23
のトークイベントで、ボクはその取材に、琴子ちゃんは岡田さん繋がりでお手伝いに来ていた。その後、居酒屋に行って、呑みながら最初に二人でした話が“音楽って、いったい何ができるんだろう”ってコトだった。

聴く耳と心が準備できている人には、音楽は届く、そこにはだから沢山の可能性がある。でも、耳を塞ぎ、心が閉じていたら?その時、音楽は届かないんじゃないか。閉じている心には、音楽は無力かもしれない。閉じている心を開くためには、多分、音楽以外の何かが必要・・・

そんな話をした記憶がある。

そのすぐ後の27日、ピアニストの深町純さんと出会い、彼と、またもや“音楽で何ができるの?”という話に。今は亡き深町さんの、あの日悩みながらのMCがアーカイブに残ってます。
(深町純(即興演奏) 20070527 チャリティライブ イラクの子どもたちは今)

 ボク自身はミュージシャンではないから、“音楽が”という話ではある意味客観者ではあるけれども、詩も書くし、文章も書く。

あの日、多分、同じ“志”の中で、ボクらは同じ答えを探していたんだろうね。

琴子ちゃんとは、それから1年くらいの間、たびたび会うこともあったし、時に彼女の歌も聞いた。まだあどけなさが残る中に、でもどこか“凛”としたコだった。その後、ちょっといろいろあって、なもので4年近く疎遠になっていたのですが、久しぶり、まさしく4年ぶりに、ライブのお誘いもあって、今回、彼女の歌を聴かせてもらった。

お互い、或いは世界も、この国も、いろいろ抱えながらの再会ではあるのですが、
4年経って、そこには大きく成長した、そして変わらず“凛”とした、相変わらずあどけなさも残る、素敵な琴子ちゃんがいた。


今回のライブ、琴子ちゃんがMCで話したね、音楽でいったい何が出来るのかって。
ボクらは、今でも、あの人同じ“志”の中で、相変わらず、同じ答えを探しているようです。

4年ぶりの再会。だから、ボクの中では

Now that you've come back,
So now I come to you with open arms ―



古川琴子(オフィシャルサイト)
http://www.furukawakotoko.com/

2011年12月4日日曜日

totorabo[笠井舞] 2011/12/2 Live『バースデー』 @四谷天窓.comfort より




笠井舞。

初めて会ったのは去年の1月、冬の冷たい風が吹く新宿でのことだった。
寒空の下、その日ストリートでギターを弾き語る彼女は、凍えた指が弦で切れ、血が流れていたのに、それでもなお歌い続けてた。
透きとおった優しい歌声、可愛らしい笑顔と、でも、その中に、見える姿とは違う、「魂」を感じた。

それから、何回か、彼女の歌声を街で聴いた。

去年の春頃、彼女の、自殺を考えた人のことを書いたんだという『14インチ/100年』という曲を聴いた時、不覚にも、カメラを持つ手が震えた記憶がある。

歌を、好きで好きでしょうがない。
音楽が、好きで好きでしょうがない。
そんな彼女を見てると、歌や音楽が、詩がもつ無限の可能性を信じたくなる。



何があったのかは知らない。
それを聞くこともしなかった。
過ぎた時間は戻らないから。


12月2日、totoraboこと、笠井舞は、彼女が25歳になったこの夜のライブで、音楽活動を休止した。

「水」は、たとえ流れるところが見当たらないような時も、自然と流れる場所を見つけていく。
人の人生も多分、そんな感じ。ちゃんと、何かに辿り着きながら、また折り返して、たまには休んで、また折り返して。

「意志」というのは、先回りして流れる場所をつくっておく、で、そこに自分を行かせるような感じ。
人の、「人」たる所以は、その「意志」にあるのだが、だけど、ときには、自然の流れを感じてみるのも大事なこと。


ダイジョウブ。

完璧なものなどないのだから、何度も折り返し、折り返し、不完全な「自分」と付き合いながらみんな生きている。そして、「水」のように、ちゃんと丁度いいところに、いつか導いてくれるものさ。

次に会える時は、どんな彼女に、なっているのかな。
ひとまず、この、折り返しとなったライブに立ち会えて光栄でした。


また、彼女に、会えますように。


totorabo[笠井舞]
 http://totorabo.web.fc2.com/
 http://ameblo.jp/totorabo/

2011/12/2 Live『バースデー』 @四谷天窓.comfort より

・14インチ/100年
・迷い草
・かくれんぼ
・臆病者にヘッドフォン

2011年11月2日水曜日

"境界" ―The Border―

世界と、また違う別の世界と
目に映る像は、いつだって光が創る、その境界面

目に映る光に魅かれ、導かれ
ただ、それだけじゃ足りないから
近づいて、境界面に手を伸ばしてみるんだ

手が届けば
目に映らない温度や、なめらかさに触れ
その向こうの、光放つ世界の温もりや瑞々しさを感じられるかもしれない

触れられないのならば
境界面は、どこからか放たれる光の映し出す輪郭
ただの像なのかもしれないのだから
目を閉じ、目に映る光を遮ってみる
その時はじめて、
世界の、凍てつく痛みが、渇きが、匂いが
心に届くこともあるだろう

向かい合った心は、必ず、二つの世界を映し出す
ボクの目に映る世界にはキミの姿が見えるけど、ボクの姿はない
キミの眼に映る世界にはボクがいるけど、キミがいないように

だからそんな時は、目を閉じ
不確かな想像の中で、
ボクはキミになり
キミはボクになる

出来ないよね
出来ないけど、してみようとする

恋って、そんな感じかな

同じ向きを向いて
同じ世界を見つめ始めた時に
例えばキミとボクに見えていた二つの世界が、一つに重なることもあるのかな

あるいは、二人で目を閉じて
目に映る光を遮り
目には映らないけど、確かな温度や湿度や匂いを感じてみようよ

そしたら、どこを向いているとか関係なくなって
二つだった世界が一つになって

愛って、そんな感じなのかな


世界の数は心の数より、だからきっと愛の数だけ少ないね
70億の心が映し出す70億個の世界も
たった一つの球面上に浮かぶ、たった一つの世界の一部

なんとなく、それが希望


今一人で、空と雲と地の境界を見つめていた
目を閉じ、ただ一つの世界となって
世界の中心に心を向け、その残像を感じてみた

光を放つものはそれ自体が輝いているのか
それとも、どこからかの光を反射している鏡なのか
あるいは、ガラス玉のように硬く透きとおり
ただ光を透過しているだけなのか


目には映らない光が、光の放つ源に導いてくれる
そんな気がしただけ

それも、また、幻なのかもしれないけど




Kouichi Teratani /詩篇"境界" Kao.(Kaori Ogura)の写真をお借りして、一篇の詩を書いてみました。

2011年10月26日水曜日

"愚行権"

他者の生命や所有に関する許容不可能な危機や損失を与えないこと、が善きものの最低限の条件。
人が社会性生物として生きる限り必要なこと、だとするなら、
が、あくまで"他者の"であり、"自己の"、ではない。
自己の生命や所有に関する、あるいは社会性において、自己の範囲で、許容不能となるかもしれぬ危機や損失を覚悟しても人は、時に、したいことをする。

それは悪か?いや、悪ではない、
それを人は、"愚か"という。

愚行権―"the right to do what is wrong"―
たとえ他の人から愚かでつむじ曲りの過ちだと評価・判断される行為であっても個の領域に関する限りは、他者に邪魔されない意志と行動の自由。
対して、パターナリズム―paternalism―強い立場にあるものが、弱い立場の者の利益になるように、本人の意思に反して意志や行動に介入、干渉すること。

親が子に注ぐ愛は、自己責任力において対等な関係ではない故に、一般的にはパターナリズムが許容される。
国家と市民の関係も、国家は市民の権利と自由を制限するがそれは社会性の維持や公共の利益を損なわず、市民の権利と自由を保護するためのものであり、国家が市民の付託を受けているという前提において、正当化される。
「善き生き方」としての倫理観では、人は概ね、人生に生きがいを求めつつも、賢くありたい、と思うのが通例であるとしている。意図的に、自ら破滅しようとする人は、あくまで例外的であると。だが、その"破滅しようとする"は、他者からの客観に過ぎず、個の心を、意志を、その深淵まで正確に把握することはそもそも不可能であることから見れば、個の判断や意志に対し、善良な心を持ってしても、外部からの介入・干渉は、客観的な推察や一般的な評価を根拠としており、よって、誤る可能性は高い。
親も、"善かれ"と思って、子の意志や行動に介入し、干渉するにしても、実際多くの親の愛は、足りなかったり多すぎたり、間違いを教えるものだ。国家も同様、市民に関わりすぎては、自助自立の志を奪い、また、多くの間違いを積み重ねる。だから、国家は必ず、いつか滅びる。
人はわかりあえる、のではなく、そもそもわかりあえない。
わかりあえたら、とっくに世界はもっと平和になってただろうし、人の心は癒されていたはず。
わかりあうためのツールはどんどん進化してきた。言語や思想、素晴らしい音楽や芸術、IT、法やルールだって、本来進化の象徴でなければならない。しかし、どうだろう、むしろ世界は、人の心は、荒み、より悲しみに溢れている。
だからこそ、わかりあいたいと思うのだ。わかりあうために、繋がり、語り合い、ふれあい、感じあおうとする。もしこの世に魔法があるとしたら、それは心の中にあるお互いが、わかりあおうとする心にあると。
人が、それぞれ心の中に求めるものなど、そもそも同じであるはずがない。わかりきれないし、愛し合う二人でさえも、その愛の形は違う。だが、それでいいのだ。それらが合わさって、全体として一つにしてみたら、形の違う二人の愛を合わせてみたら、なんか丁度いいよね、そんな感じが素敵だと思う。
人として、善き人として、善き関わりをもちながら生きる、それはとても尊いこと。
だが、心の中に、もうひとつの依るところは、誰もたどりつけない高みにたどりつき、愛するキミの生きる、キミが愛するこの世界を抱きしめて生きたいとも思う。そのためならば、善き人である、善き関わりを大切にする意味は無いとも思う。

愛という空間の、世界の中心から光を放つ、
あるいは、その空間を外から照らす、包み込む光となる。
その両方にたどり着くことはことは困難だろう。また、どちらか片方でもたどり着けたのなら、それはとても幸運なこととも思うが、同時に、一つづつの愛の完成にしかすぎない。片方の器を満たすことができても、もうひとつの器は空っぽ。未来を想像したときに、それはやはり、悪い予感となる。
愚かなものは、知らないわけではない。
人は人と合わさって、せめて二人でならば、悪い予感が消え去り、はじめて希望となって、だからなんとか、人が生きて行けることを。だとしても、愚かなものは、愛することをやめはしない。